-石段は 五十段なり 花の崖(司馬遼太郎)
料亭「松廼家」は、大正6年(1917年)に神戸花隈で創業し、500坪の数寄屋造りの屋敷では毎夜多くの財界人や文化人が通い、華やかな宴でにぎわいました。
女将四代が継いできた神戸随一の歴史を持つ料亭神戸ならではの文化と、四季折々の旬をいかした御献立、訪れる方の琴線にふれるおもてなしで、移ろいゆく季節の美しさとともに優雅なひとときをお過ごしください。
大正6年(1917年)4月5日、初代鵜殿しづが24歳の時に、神戸花隈に「松乃家」の屋号で敷地面積約 60 坪の料亭を創業した。
戦時中山下汽船の寮として場所を提供していたが、昭和20年神戸大空襲により全焼。その後、森永製菓の寮として二代目である長女の礼栄が継ぎ、昭和24年に竹中工務店により約 500 坪の数寄屋造りに建て替え、一見さんお断りの料亭へと築き上げた。
多くの財界人、文化人が足しげく訪れ、毎夜華やかな宴で笑い声にあふれていた。女将の粋なおもてなしは今なお、多くの方の魅了してやまない。
東京赤坂、紀尾井町などにも出店し、日本の政財界だけでなく世界中のスターも訪れる名店となる。その後平成15年、阪神・淡路大震災により神戸花隈の屋敷は全壊。神戸交通センタービルにて懐石レストランとして再開、料理人の技が生きた四季折々を感じる和の献立は多くの方に愛され、松廼家は創業百年を迎える。
創業者のひ孫である麻里絵が24歳の時に四代目に就任。
幼少の頃より花隈の屋敷で育ち、料亭ともに過ごしてきたなかで学んだことを次世代に伝え残したいと思い、令和2年12月に神戸北野にあるJR西日本三宮ゲストハウス(指定文化財)に移転し、松廼家の料亭とともに、JR西日本と日本文化を継承する連携事業をスタートさせる。